2017年1月5日木曜日

分子マシンと遺伝子


2016年のノーベル化学賞は分子マシンだった。今のところ応用の可能性は見えていないらしいが、この解説を聞いていて一つ思ったのは、遺伝子の解明に役立つかもしれないということだ。
一見、何の関係もないようにも思えるのだが、物理学賞のトポロジカル相転移と併せて考えると俄然興味が出てくる。ここで言う遺伝子の解明とは、どの遺伝子が何に影響があるのかという意味ではない。「なぜ」その遺伝子が生物の性質に影響を与えるのか、が分かるかもしれないと思ったのだ。
例えば、足の指の形が違うとか、肌の色が違うとか。そういった性質が、4つの塩基の位置と組み合わせで変わる。変わることは分かった。どこを変えるとどうなるかも分かった。が、ではなぜなのか。今までそれは謎だった。DNAがRNAになるだとか、細胞が分裂するだとかにしても、生命の神秘だの何だのとは言われつつも、ではなぜそうなるのか、そこに「生命」なる目に見えないものの影響が本当にあるのか、分からなかった。
分子マシンは、単なる分子の組み合わせに、電荷や酸性度、磁場などを外部から変えてやることで作れ、また動かすことができる。この「動く」という性質が、単に分子の組み合わせと外部環境だけで確定的に起こるのなら、それはもう生命とは言えないだろう。そしてその「動く」という性質が、別の分子を引き寄せたり退けたりする、それが連鎖する、と考えると、その一連の動きもまた、生命とは言えない。
その動きは、分子の組み合わせと位置、環境によって変わるため、膨大なバリエーションがある。そういったバリエーションの一つとして、偶然に単細胞生物ができたのかもしれない、という仮説に、一定の真実味が出てきたと言えるのではないか。
生命の起源としては、古代の海で偶然にできたとする化学進化説と、宇宙から飛来したというパンスペルミア説があるが、もし上の仮説が正しいとすると、その両方共が「どうでもいい」となる。無論これは化学進化説の一種な訳だが、生命をあくまでも科学的現象であると位置付ける点では視点が大きく異なる。要は何でも良いから偶然が起これば良いわけで、それには母数が多ければいつかは必ず起こる。そして、その過程のどこかで「生命になった」という線引きが意味を成さなくなる。
例えば自然淘汰。これも高尚なものではなく、温度が高くなると氷が融けるのと、本質的には変わらないと言える。命を大切にするとか、たった一つの命とかいう考え方にも変化が出てくる。不老不死とか、死者を生き返らせる方法も見つかるかもしれないが、同時にそれにどんな意味があるのか、という哲学的な問題でも答が変わってくる。生き甲斐や、神の存在にすら影響が出るかもしれない。
その一方で、遺伝子をそういった側面から研究することで、今までは帰納的に確認してきた遺伝子の特徴が、演繹的に推測できることになる。遺伝子の働きが、より物性的な裏づけを持って推測できるなら、安全な遺伝子組み換え生物の創成や、新しい治療薬の作り方が発明される、あるいは分子マシンが癌細胞をやっつけるといった物理的な治療もあり得る。
まあ、何れにしても膨大な計算が必要なことは間違いないだろうから、コンピュータを大量にぶち込める予算取りが可能な国が、これらを制することになる。現在の小学生向けのプログラミング必須化の流れはある程度正しいが、ノイマンマシンのプログラマは要らない。スパコン系のプログラマをもっと増やす必要がある。

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